期待値のお話
は~い、もうもこんばんは!
体調不良が続いていましたが、だいぶと落ち着いてきたので、ちょっと思ったことを書きたいと思います。
先日、ZOZOTOWNの前澤社長がお年玉企画として、フォロー&RTした人の中から、100名様に100万プレゼント、としてツイートしたのが話題になりました。もちろん、俺も光速で応募しましたがまあもちろん外れてしまいました……。
そんな中で、(ある界隈では有名な)とあるツイッタラーさんが、「期待値20円ほどのイベントのために、人間の尊厳を捨てられるか」的な発言をしてはりました。
それを見て思ったんだけど、期待値ってものの考え方、間違ってる人、割といる気がします。間違っているというか、利用の仕方が違うというか……。
「確率論において、確率変数の期待値(きたいち、英: expected value)とは、確率変数のすべての値に確率の重みをつけた加重平均である」(Wikipediaの期待値のページより)
となっていて、確かに数学的には、「得られるお金の期待値」今回の前澤さんの企画は期待値10円ちょっと程度のものだったわけです。それだけ考えると、しょぼい……。
でも、ちょっと考えてほしかったのは、人に借金さえしているような生活の中で、ノーリスク(尊厳失う、とか曖昧なこと考えるとノーリスクとは言えないかもだけど)でうっかり100万もらえる、ってめちゃくちゃ大きいことなんじゃないのかな?ということ。
考えるべきなのは、その行為によって得られる「お金の期待値」ではなく、「そのお金をもらったことによる人生への期待値」なんじゃないかなぁ、と。
例えば、大富豪なら露知らず、ごく普通の労働階級の人なら、「1%の確率で1兆円もらえるゲーム=期待値100億円」か、「100%の確率で10億円=期待値10億円」のどちらかに一度だけ挑戦できるとして、数学的な意味での期待値は前者でも、人生への総合的な期待値考えると、普通は後者選ぶ方がいいのでは?ってこと。
麻雀で言うなら、収支の期待値的には損だけど、和了トップかつ放銃しても順位落ちなさそうなら、全ツする方が得じゃん?ってこと。この場合は、「半荘収支」っていう、明確な数学的な期待値出るから、ちょっと違うかもだけど。
ここまで書いて、何を当たり前のことをダラダラと書いてるんだろ、って自分でも悲しくなってきた……もうちょっといろいろと考えて、しっかり生きていかなきゃいけないなと思った、と締めくくって終わりたいと思います。
そうそう、ゴールデンゴールドって漫画読み始めたんですが、めちゃくちゃ面白いよってこと付け加えておきます。今度、紹介したいと思います!
よろしくどうぞ!